過去の出来事、技術、思想を未来の視点から再解釈するために書き残すブログメディア Hyperpast Journal(ハイパーパストジャーナル)。書き手は小林大介。

産むことを、止めないだけ。

「多産」と聞いて、慌ただしい印象を持つ人もいるかもしれない。
でも、僕にとってのソレは、もっと静かで、地に足がついた営みだ。

発想が浮かぶ。
記録する。
形にする。
公開する。
そしてまた、次が生まれる。

このループが、止まらなければいい。
スピードでも、量でもない。止めないことこそが Never ending。

多産とは、生きる方法のひとつ。

動画、写真、文章、キャラクター、図鑑、音、サウンドスケープ、フィールドノート。
これらは、僕の生活の延長にある行為だ。仕事というよりも、生きている証。

多産とは、日々の暮らしを通して、個人の宇宙を少しずつ構築すること。
だからこそ誰にも真似できない。その人だけの宇宙。

発酵的リズムで生きる

焦らない。
寝かせる。
気づきを書き留める。
小さな行動を積み重ねる。

それはまるで、発酵のようなプロセスだ。
時間がかかる。揺らしてはいけない。
けれど、必ず深みが出てくる。

この発酵的リズムが、僕の多産の中核にある。

多産はパラレル構造である

そしてこのライフスタイルが面白いのは、一つ一つのアウトプットが独立した世界を持ち始めることだ。

たとえば

  • 「ULフィッシング」というテーマから生まれた記事群
  • 「ミトちゃん」のキャラクター図鑑
  • 健康戦略の記録と、その派生としてのプロトコル
  • 各プロジェクトの書籍化

これらは、全て別々の世界線を形成している。
一つひとつが並行して広がっていき、交差することもあれば、まったく交わらないこともある。

つまり、Never ending 多産ライフは、
一人の人間のなかに生まれた、無数のパラレルワールドの形成記録でもあるのだ。

そしてもう一歩、深く捉えるならば、
これらの世界線は、やがて重なり合い、接続し、ユニバーサル(普遍的)な構造を持ち始める。

最初は点だったプロジェクトが、線となり、面となり、やがて空間として立ち上がる。
ULの世界と健康戦略がつながり、キャラクターたちがそれをナビゲートする。
文章が語りを支え、全体が「一つの宇宙」を形成し始める。

この瞬間、多産はただの断片的な創造ではなく、包括的な世界観=ユニバースとなっていく。

手塚治虫の漫画に幾度となく登場した、アセチレンランプやロックなどに僕は強く惹かれ、いつかそういったパラレルワールドを形成したいと思っていたが、多産によってそれを再現しはじめている気がする。

それは、バラバラに見えていたすべてのプロジェクトが、
まるで遠く離れた銀河が重力によって引き寄せられ、
ひとつの銀河系を成すかのような感覚だ。

車田正美先生の漫画「聖闘士星矢」で「俺のコスモを…」というシーンがあるが、小宇宙と書いてコスモと読む、アノ感覚にとても近い。

ちなみにこのコスモとは、要はコスモスの事だ。

カオスの先にノモスがあり、そしてコスモスで整っていくソレだ。

パラレルに発生し続けたアイデアたちが、ある日ふと重なり合う瞬間。そこに、多産の核心がある。

どんなに小さな発想でもいい。
記録すればそれは、ひとつの世界の種になる。

やがてそれは発酵し、
かたちを持ち、
誰かと出会い、
別の時間軸で進み始める。

そしてまた、別の誰かの中に、新たな宇宙を生む。

多産とは、現代版の“Like a Rolling Stone”なのかもしれない

ボブ・ディランが「転がる石のように」と歌ったように、
しがらみを振りほどき、転がり続ける存在。
定住しないことで、逆に世界を深く見渡す存在。

あの歌に込められた問い 「帰る場所もなく、誰にも知られず、ひとりで転がるって、どんな気分なんだ?」

それは不安でもあり、自由でもあった。

かつてのカウンターカルチャーがそうであったように、「Never ending 多産ライフ」もまた、ひとつの現代的な“放浪”なのかもしれない。

定住せず、固定されず、絶えず動き、産み、変化する。
そして、そのすべてが軌跡となり、軌道となり、パラレルワールドとして残っていく。

Never ending 多産ライフ。
それは、ただ手を動かすのではなく、人生そのものを、宇宙的構造へと変えていくライフスタイル。

そして、それが静かにパラレルワールドとなって広がっていく。