UL(ウルトラライト)な映像制作と思考
ULハイキングの概念と同様に、映像制作にも「ウルトラライト」という考え方を適用することができる。軽量化は単なるギアの問題ではなく、機動力を上げ、思考の自由度を広げるためのものだ。カメラ機材を必要最小限にすることで、ロケーションの選択肢が増え、より本質的な表現に集中できる。
ギアの軽量化がもたらす機動力
映像制作の現場では、しばしば大型カメラや多くの周辺機材が必要とされる。しかし、ミラーレスカメラやコンパクトなシネマカメラ、さらにはスマートフォンを活用することで、撮影の幅は大きく広がる。軽量なギアを選択することで、以下のようなメリットが得られる。
- 機動力の向上:重い機材を持ち運ぶ必要がなく、素早く移動できる。
- ロケーションの自由度:険しい山や遠隔地へのアプローチが容易になる。
- 直感的な撮影:素早くカメラを構え、即座に撮影に入れる。
- 環境との一体化:軽装備であるがゆえに、被写体との距離感が縮まり、より自然な映像が撮れる。
ハリウッド映画業界ではまだまだ大型のシネマカメラが使用されているが、2023年に公開されたギャレス・エドワーズ監督『ザ・クリエイター/創造者』ではSONYのFX3というコンシューマー機が使用されたことで注目を浴びた。
この映画はSF超大作モノだが、バジェットの関係で機材に予算を充てられなかったようで、それをクリアするためにコンシューマー機を使ったようだが、結果大型シネマカメラと遜色ないレベルの表現となっており…寧ろルックのセンスが良くいため、大型シネマカメラよりも美しいのでは?と思わせるほどのレベルとなっている。
つまり、ハリウッドでも現実的に、ULなバジェットに対し、ULな思考力とULな対応力、そしてULな機動力が求められ始めており、ゲームチェンジが起きているということだ。
「軽さ」がもたらす視点の深さ
先程も書いたが、カメラの重量を削ぎ落とすことで、表現の質は落ちるのだろうか? 答えは否だ。むしろ、機材の制約が生まれることで、映像制作者は本質的な要素に集中するようになる。光の捉え方、構図、音、リズム。余計な機材がないことで、視点が研ぎ澄まされ、より純粋な表現が可能になる。
たとえば、ビート・ジェネレーションの作家たちは、移動しながら執筆を続け、旅そのものを創作のプロセスとした。軽量なギアと最小限の装備で旅をすることは、映像制作においても「ロードムービー」的な視点を育む。偶然性を受け入れ、環境に順応することで、より自然でダイナミックな映像が生まれる。
テレンス・マリック(Terrence Malick)は、独自の映像美と哲学的なアプローチで知られるアメリカの映画監督であり、彼の作品は詩的で自然と深く結びついている。代表作には『天国の日々』(1978年)、『シン・レッド・ライン』(1998年)、『ツリー・オブ・ライフ』(2011年)などがある。
彼は従来の映画制作の型にはまらず、自然光を活用して映像を紡いだ。人工的なライティングを極力排し、時間の流れに身を委ねながら、太陽の動きや天候の変化をそのまま受け入れた。彼の映像は、技術的な洗練を追求するのではなく、環境と一体化することで本質的な美を引き出すものだった。まるでULの思想と同じように、過剰な装備を削ぎ落とし、軽やかに映像を捉えたのだ。
また、ブルース・サーティース(Bruce Surtees)は、アメリカの撮影監督であり、特に自然光を活用したリアルな映像美で知られる。彼は『ダーティハリー』(1971年)や『許されざる者』(1992年)などの作品で、人工的なライティングを極力排し、ナチュラルな光を生かした映像を生み出した。その大胆なスタイルは、映画のリアリズムを追求する多くの撮影監督たちに多大な影響を与えた。
サーティースの撮影スタイルは、環境と一体化し、シンプルながらも深みのあるビジュアルを生み出すものだった。彼は、光の扱いを徹底的に研究し、最小限の機材で最大限の表現を引き出した。彼の作品には、過剰な演出を排し、映像の本質を研ぎ澄ます姿勢が貫かれている。まるでULの思想と同じように、余計なものを削ぎ落とし、軽量化することで自由度を増し、より純粋な表現へとたどり着くのだ。
彼の革新的な手法は、後の世代の映像作家たちにも大きな影響を与えた。ナチュラルな光を活かす撮影スタイルは、今日のインディペンデント映画やドキュメンタリー、さらにはULな映像制作を目指すクリエイターたちにも通じるものがある。
UL的映像制作の実践例
- カメラは軽く、三脚は最小限に
- 軽量なジンバルやハンドヘルド撮影を活用し、三脚の使用を最小限に抑える。
- 三脚が必要なシーンでは、軽量小型なカーボンファイバー製を選び、設置のスピードと柔軟性を意識する。
- 手持ち撮影のブレを味として活かしつつ、動的な映像表現を意識することで、被写体との一体感を強調する。
- ショルダーリグやストラップを活用し、機動性を損なわずに安定したショットを確保する。
- 最小限の装備で撮影することで、機材の存在を意識せずに撮影者自身の直感に従った映像が生まれやすくなる。
- 重い機材を排除することで、より自由に動きながら、状況に応じたアングルや視点を即座に変化させることが可能になる。
- 手持ち撮影のブレを味として活かす。
- オーディオの工夫
- 32bit floatの音割れをしない、コンパクトなピンマイクやフィールドレコーダーを使用し、重量を抑えつつ高品質な音を確保する。
- 環境音を意識した録音を心がけ、ナチュラルな雰囲気を映像に溶け込ませる。
- 無指向性マイクやガンマイクを適切に使い分け、撮影現場の音の特性に応じた最適な音を記録する。
- 編集での軽量化
- 撮影段階で構成を明確にし、無駄なカットを減らす。
- 事前にショットリストを作成し、編集作業を効率化する。
- 軽量な動画編集ソフトを活用し、スピーディーなポストプロダクションを実現する。
- 余分なトランジションやエフェクトを減らし、シンプルな編集で視覚的なメッセージを明確にする。
- カラーグレーディングも最小限にとどめ、自然な色合いを活かす。
- Bロールの使用を計画的に行い、ストーリーの流れをスムーズにする。
- 音声やナレーションの編集も含め、一貫したトーンを維持する。
- 可能な限り現場での撮影時に完成形をイメージし、編集に頼りすぎない映像作りを心がける。
手前味噌だけど、一例として1時間ほどで撮った作品を紹介したい。
カメラは1台、SONYのα7S3。レンズはオールドレンズHelios44-2を使用し、マイクは32bitのピンマイクをアーティストの胸元に隠すように設置。機材はそれだけだ。
ワンテイク目では真正面のメインカットを手持ちで撮っておき、ツーテイク目に寄りの別アングルで撮り、それを編集で組み合わせ、さも2カメで撮っているように見せている。時間帯は太陽が傾きはじめた自然光が一番美しくなる15-16時あたりを狙い、楽曲やアーティストの雰囲気とマッチさせることにした。
こうした映像を作ろうと思ったのは先に出た、テレンス・マリックやブルース・サーティースなどの影響も大きい。
「軽さ」が生み出す映像表現の可能性
少ない機材で挑むことで、撮影者自身のクリエイティビティが試され、よりシンプルで力強い作品が生まれる。映像制作において「軽さ」は新たな可能性を生み出す要素となり、直感的かつ自由な表現を後押しする。
映像制作は技術の進化によって誰もが容易に美しい映像を撮れる時代になった。しかし、それによって映像の価値が画一化し、何を表現するかよりも、どのように技術的に洗練されているかが重視されることが多い。しかし、本当に重要なのは、どんな機材を使うかではなく、どんな視点で世界を切り取るかであり、撮影者は何を伝えようとしているかだ。
軽量な機材は、撮影者の身体と映像の間の障壁を取り払う。重たい機材を持ち運ぶ苦労がなくなれば、直感的に動き、瞬間を捉える力が高まる。あるいは、固定概念に縛られず、従来の映像文法を超えて新たなアングルや構図を模索することができる。ミニマルな装備で撮影することで、映像そのものの純度が増し、無駄のない、見る者の心に直接響く作品へと昇華される。
また、軽い機材は物理的な移動の自由度をもたらす。重い機材では入り込めない狭い路地や、険しい山道、動き続ける被写体に寄り添うことが可能になる。これにより、映画やドキュメンタリーにおいても、新しい視点や臨場感を生み出すことができる。
映像の価値は、画質や技術ではなく、そこに込められた視点と思想によって決まる。「軽さ」は単なる物理的な概念ではなく、表現の純粋性を高めるための手段でもあるのだ。
映像制作を通じて、UL的な思考や哲学を可視化し、その魅力を伝えることができれば、映像自体が「軽さ」の価値を伝えるメディアとなる。
カメラは軽く、視点は深く
UL思考を取り入れた映像制作は、単なるギアの軽量化にとどまらず、表現の本質を研ぎ澄ます手段である。現代では、誰もが高性能なカメラを手にし、ボタン一つで美しい映像を撮ることができる。しかし、それは本当に価値のある映像なのか? 重要なのは「どのように撮るか」ではなく、「何を見つめ、どう切り取るか」という視点にある。
技術の進化により、画質や手ブレ補正、色補正は驚くほど洗練された。それでも、映像の本質は解像度の高さではなく、映し出されたものが何を語るか、何を問いかけるかにある。軽量な機材を用いることで、撮影者はより機動的になり、対象により近づき、リアルな瞬間を捉えることができる。カメラの重みから解放されることで、制約に縛られず、新たな視点を探求する自由を得るのだ。
「カメラは軽く、視点は深く」。この哲学は、単なる技術論ではなく、映像表現の核心にある。現代の映像制作において、誰もがカメラを持ち、誰もが映像を発信できる今こそ、表面的な美しさにとらわれず、何をどう見せるのかを問うべき時なのではないだろうか。
Comments by daisuke kobayashi
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