今世の中はブラックフライデーが開催されており、非常に消費行動が激しい状態にあると言える。

僕はこの時期だからといって特別何かを買うつもりはないのだが、売上の調整などを考えるとブラックフライデーは非常に都合が良く、経費として扱えるモノを税金などの対策として購入しておくことは多々ある。

例年であれば、AdobeのCCを安く購入できるため、購入するのだがそれを今年は見送ることにした。

現在、僕は世の中のリキッド化に柔軟に対応すべく、脱Adobeを図っており、まだ2026年10月までのライセンスが残っているが、早急にAdobeからの脱却を試みることにした。

寧ろ、今ぐらいからあたらしいソフトのトレーニングをはじめ、夏頃にはフライトできるぐらいの感覚が丁度良いと感じている。

特にAdobeのPremiere Proを使ったクライアントワークでの映像制作はすぐに切り替えられるものではない。半年ほど猶予を設けておかなければ全く安心はできない。

僕がAdobe CCを使う一番の理由はPremiere Pro。あとはIllustratorとPhotoshopがあるが、実はBridgeというライブラリソフトが鬼のように便利で、僕は長年これを使い、シームレスに写真の現像を行ってきているため、このBridgeに変わるソフト、もしくはツールはまだ見つかってはいない。

映像制作はBlackmagic Design社のDaVinciResolve Studio

Premiere Proの代替はBlackmagic Design社のDaVinciResolve Studio。

無料でも使えるが、プロとして使うなら絶対に有料版ということですぐに購入してみた。

ただ購入したのがUSBドングル版ってやつで、USBを挿してライセンスを認識するタイプらしく、ライセンスコードじゃないタイプ。

ミスって購入してしまったなと思ったが、僕はラップトップで映像編集は基本せず(画面が小さい)、ゆえに外出先でも絶対にしない。100%Mac Studioを使い映像制作をしているため、まぁいいかといった具合に落ち着いた。

それにラップトップでは無料版でカット編集程度は行えるだろうから、そうした使い分けには全く問題ないと感じた。

グラフィック・写真系はAffinity

グラフィックや写真の現像などは最近Canvaに買収されたAffinity。この買収による無料化で僕は完全に脱Adobeを図ろうと思ったのだ。

実はそれまではブラックフライデーセールでAdobe CCのライセンスを今年も購入しておこうか…ぐらいの感覚だったのだが、この買収による社会のリキッド化とコマが揃った感じがあり、決め手となったのだ。

まだ軽くしか触っていないが、IllustratorとPhotoshopがシームレスにひとつのソフトで扱える感じが素晴らしい。

これはDaVinciResolve Studioにも言えることだが、サウンドデザインやモーション系がひとつのソフトで完結するのに対し、Adobeは過去の産物からのアップデートが全く図れていない様子で、すべてのソフトが分かれてしまっている…

これはあらゆるモノがリキッド化していく社会において、全くいただけない仕様である。

もちろんそれぞれのソフトは高性能なのかもしれないが、AIが活況な現在において、正直そこまで高性能な機能は必要なく、必要なのは性能ではなく柔軟性であり、それを多くの人が求めているはずだ。

性能と柔軟性のバランスを見た時に、僕がプロとして扱っていけると感じたのが、現時点ではDaVinciResolve StudioとAffinityと言える。

ただ今後はもっと”変わっていく”と思われるため、これらに限らず僕の思考もとにかく柔軟性を持たせ、世の中の動向に合わせていきたいと考えている。

大波を乗り越えるために

しかし正直今、僕は打ちひしがれている。

昨日は一日凹んでいた。

映像制作のための撮影にも出かけていたが、全く頭に入らなかった…

一体なんて世の中なんだと嘆きたくなったし、未来が怖くなった。

これから確実にくる大波、この激動の社会をどのように僕はサバイブしたら良いのか、全く見えなくなってしまったのだ。

昨日の凹みからは少し落ち着いたが、その答えは僕は出せていない。

もちろん今まで通り、映像を作ったりしていくのだけど、それを繰り返すことが大波を突破するための対策とは到底思えない。

そのひとつの対策として、健康や栄養学を学び、自身が健康になり、そして他者を健康へと導くサービスもはじめているが、まだはじまったばかりで結果を残せていない。

そんな結果を、はじまったばかりのサービスに対し、求めていることで不安が掻き立てられ、未来が怖くなってしまったと、今は冷静に自身を見ることができるのだが、ただそれ以上に”押し寄せてくる大波”の対策が僕は出来ていない。

だからこそ、こうして記事を書き、見失いそうになっている自分を見つける作業をしているのだ。

娘はまだ3歳半。彼女が健やかに暮らせる社会を僕は探求していきたい。そんな思いで今生きている。

僕にとっての脱Adobeとは、つまりそういうことでもあるのだ。