変化の狭間に生きるX・Y世代

1980年生まれの自分はX世代の末端であり、Y世代の先端にいる。この両世代の特徴を併せ持つ、まさに変化の狭間の世代だ。

デジタル革命の前後をまたぎ、アナログの温もりとデジタルの利便性を両方知る世代。この立ち位置は、まるで若者と高齢者の間を取り持つ中庸的なポジションだ。

僕たちの世代は幼少期はVHSやカセットテープを使い、10代でCDやMDに移行し、20代にはiPodとYouTubeが日常になった。そして、スマートフォンが登場し、SNSが社会の主流を形成した。インターネット以前と以後の世界を両方知るからこそ、極端なデジタルネイティブでもなく、完全なアナログ回帰派でもない。その中間に立ち、どちらの価値観も理解できるのがX・Y世代の特徴だ。

若者と高齢者の狭間で——X・Y世代の視点

Z世代やα世代は生まれた時からスマートフォンがあり、彼らにとっての「リアル」はデジタルの延長線上にある。一方で、高齢者はテクノロジーの進化についていけず、情報の流れから取り残されることも多い。

この狭間にいる僕たちX・Y世代は、両者の橋渡しができる存在だ。テクノロジーを駆使しつつも、過去の価値観やアナログな感性を持ち合わせている。例えば、Z世代のように「スマホなしでは生きられない」という感覚はないが、高齢者ほど「スマホは不要」とも思わない。

この中庸的なポジションこそが、X・Y世代の強みなのかもしれない。

そもそも中庸とは、極端な二元論に陥るのではなく、対立する価値観のバランスを取ることにある。単なる妥協ではなく、状況や時代の流れに応じて最適な立ち位置を見極める柔軟性を意味する。アリストテレスの「中庸の徳」にもあるように、極端な選択を避けながらも、単なる無難な選択に終始するのではなく、積極的に最良の道を探る姿勢が求められる。

この考え方は、映画『プラトーン』の中で描かれる二人の軍曹、バーンズとエリアスの対立にも通じるものがある。バーンズは冷徹で現実主義的な軍人であり、エリアスは人間性と理想を重視する存在として描かれる。どちらも己の正義があり、主人公のクリス・テイラーは、この二つの極端な価値観の間で揺れ動きながらも、自らの道を見つけ出そうとする。X・Y世代もまた、過去の価値観と新しい時代の変化の間で揺れ動きながら、自らのポジションを模索している。

X・Y世代は、この中庸的な視点を持ちながら、新しい時代に適応し、変化を受け入れつつも過去の良さを見失わない独自のポジションだと感じている。

オルタナティブ世代としての立ち位置——X・Yの独自性

X・Y世代の中には、主流の価値観に流されることなく、時代の変化を見極めながら自分なりのバランスを取る「オルタナティブ世代」とも呼べる層が存在する。彼らは、既存の価値観に迎合するのではなく、独自の視点を持ち、社会の変化に適応しながら新たなライフスタイルを築こうとしている。

例えば、X世代は「個人主義と競争社会」を経験し、Y世代は「協調と柔軟性」を重視する傾向がある。労働観ひとつ取っても、バブル世代の「会社に尽くす」文化と、Z世代の「好きなことで生きる」価値観の中間にいる。特にX世代後半からY世代前半にかけては、就職氷河期を経験した世代でもある。

バブル崩壊後の経済停滞の中で社会に出た彼らは、「終身雇用」の崩壊を目の当たりにし、厳しい競争を生き抜くためにキャリアを模索せざるを得なかった。労働環境は過酷で、「24時間働けますか?」のキャッチコピーで知られるリゲインのCMが象徴するように、企業戦士としての働き方が美徳とされる時代だった。

過労死寸前まで働くことの無意味さを知りつつも、「好きなことだけして生きる」のも幻想であると理解している。だからこそ、持続可能な働き方を模索し、独立や副業に活路を見出す者も多い。

中庸の強みとは——X・Y世代の適応力

一方で、「過去が最高だった」と考え、かつての価値観やシステムに回帰しようとする動きがあるのも見過ごせない。高度経済成長期やバブル時代の終身雇用や企業戦士的な働き方を理想とする風潮は、特に上の世代には根強く残っている。しかし、すべての世代にとってそれが適応可能なものではないことは明白だ。

また、資本主義の限界が露呈し始めた現代において、成長を前提とした過去のシステムに戻ることは現実的ではない。経済の持続的拡大が当然視されていた時代とは異なり、現在は格差の拡大、環境問題、労働価値の変化といった課題が顕在化している。物質的な豊かさを追い求めるだけでは立ち行かない社会において、X・Y世代は新しい経済の在り方や働き方を模索する役割を担うべき時に来ているのではないだろうか。

サブカルチャーの領域では、この傾向が顕著に見られる。かつて青春時代に熱中していた趣味や文化を、家庭を持ち、子どもがある程度成長したことで再び楽しむ人々が増えている。昔のアニメ、ゲーム、音楽、ファッションなどがリバイバルされる背景には、こうした世代の影響がある。これは単なる懐古主義なのか、それとも新しい価値の発見なのかは明確には言えない。ただ、当時の文化や趣味が今の時代にどう受け入れられるのかを考察することは重要だ。現代の視点で再評価し、新たな価値を見出そうとする動きも見られる。

X・Y世代の立場からすれば、過去の良い部分を認めつつも、それをそのまま復活させるのではなく、新しい時代に適応した形でアップデートすることが必要だ。過去を振り返ることは重要だが、そこに縛られるのではなく、柔軟に変化しながら未来を模索することこそが、我々の世代に求められているのではないだろうか。

極端な二元論が支配する現代において、中庸であることは強みでありなくてはならない存在だ。デジタルとアナログ、自由と安定、個と集団のバランスを意識し、柔軟に立ち回る力がある。

オルタナティブ世代として、自分なりの道を探し、両極端の価値観を繋ぐ役割を果たすこと。それがX・Y世代の役割なのかもしれない。

このあたり、まだまだ語りきれないことばかりだ。特にオルタナティブについてはもっともっと深堀りして記事化したいと思っている。