今回は僕がとても影響を受けている文化「パンク」から「Choose Life」までの歴史を紐解いてみることにした。実は今までパンクが生まれたキッカケは知ってはいたが、パンクからの歴史や流れを考えたことがあまりなかったし、深く理解していることもなかった。

ので、良い機会だと思い文章化をし、自らの学習とすることにした。

そして資本主義の限界や日本の未来の見えない現状から、各個人や日本の未来へのヒントとなることがあるのではないかとも思い、ここに残すこととした。

サッチャー政権――「英国病」からの脱却?

1979年にマーガレット・サッチャーが政権を握った時、イギリスは深刻なスタグフレーション(景気停滞と高インフレの同時進行)に陥っていた。インフレ率の高騰と失業率の増加が同時に進み、経済は混乱を極めた。重工業を中心とした伝統的産業の衰退が著しく、労働組合はその状況に抵抗するためにストライキを繰り返し、社会的混乱は増大していた。こうした経済的・社会的危機は「英国病(British Disease)」と揶揄され、イギリスは抜本的な経済改革を迫られる状況に置かれていた。

サッチャー政権はこれに対処するために新自由主義政策を導入し、国営企業の民営化や規制緩和、市場競争を徹底して促進。強い個人主義と自己責任を奨励したが、その結果、製造業の空洞化や失業率の急上昇を招き、社会的・経済的な格差が大幅に拡大した。特に、北部やウェールズ、スコットランドなどの地域ではコミュニティの崩壊が顕著で、多くの人々が取り残されることになった。

70年代パンクムーブメント――反抗する若者たち

そんな経済的・社会的混乱のなかで育った若者たちは、既存の社会秩序や政治的な停滞に強い不満と怒りを抱えていた。その感情は、やがて音楽やファッションという文化的表現として爆発した。

特にパンクムーブメントは、1976年頃からロンドンを中心に若者の間で急速に広まり、セックス・ピストルズやザ・クラッシュ、ザ・ダムドといったバンドが中心的存在として活躍した。彼らの激しいサウンドや挑発的な歌詞、破壊的なパフォーマンスは、それまでの主流文化や権威に対する明確な反発を示していた。「ノー・フューチャー(未来はない)」という言葉を合言葉に、既存の体制や社会的価値観への絶望や拒絶を表現し、DIY(Do It Yourself)の精神を掲げ、自分たち自身で音楽やファッション、アートを創造することで権威への抵抗を示した。

その後、パンクのエネルギーはさらに過激さを増し、ハードコアパンクと呼ばれる新たな潮流が登場する。特にDischargeやThe Exploitedといったバンドは、音楽性をさらに激しくスピーディーに進化させ、より政治的かつ社会的な怒りを露骨に表現した。また、アナーコ・パンクと呼ばれるさらに政治的な潮流も登場し、その代表格であるCrassは、徹底した反商業主義や反戦思想、反権威主義を打ち出した。彼らはDIY精神を極限まで追求し、自主レーベルで作品を発表するなど、パンクが持つ社会変革の可能性をさらに掘り下げていった(この考え方はのちにRadioHeadまで伝播していくこととなる)。

このハードコアパンクの隆盛は、社会の抑圧や権力構造への挑戦を一層鮮明にし、英国文化の底流に流れる反抗精神を一段と深める役割を果たした。また、この動きは英国の枠を超えて日本をはじめとする世界各国へと急速に伝播し、各地で独自のパンクシーンやサブカルチャーを生み出すきっかけとなった。パンクの精神はその後の英国の文化・芸術にも広く影響を与え、反権威主義や個人主義、自己表現の重要性を文化的価値として位置づける契機となった。

ブリットポップとクール・ブリタニア――市場主義と反骨の融合

サッチャー時代が終焉を迎えると、1990年代にはトニー・ブレア率いる労働党が「ニュー・レイバー」という名のもとに政権を奪取した。

ブレア政権はサッチャー政権が築いた市場原理主義や個人主義の成果を部分的に受け継ぎつつ、社会的な包摂や文化的多様性をも取り込んだ新しい政策を展開した。その象徴が「クール・ブリタニア」と呼ばれる文化政策だった。

「クール・ブリタニア」は、若くエネルギッシュな英国の文化を世界に向けてアピールするキャンペーンであり、特に音楽、映画、ファッション、アート分野に焦点が当てられた。この時代にはオアシスやブラーの他にも、パルプ、スウェード、スーパーグラス、エラスティカ、ザ・ヴァーヴなどが世界的な人気を獲得し、ブリットポップとして知られる音楽シーンを牽引した。またエレクトロニックミュージックの分野でもケミカル・ブラザーズ、プロディジー、アンダーワールドなどが斬新なサウンドで世界を席巻した。映画界ではダニー・ボイル(『トレインスポッティング』、『シャロウ・グレイブ』)、ガイ・リッチー(『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』、『スナッチ』)が独自のスタイルと鋭い感性で注目を浴びた。ファッション業界ではアレキサンダー・マックイーンやステラ・マッカートニーに加えてヴィヴィアン・ウェストウッドが英国ファッションの革新的なイメージを刷新し、国際的な注目を集めた。また、美術界ではダミアン・ハーストやトレーシー・エミンに加えてサラ・ルーカス、ジェイク&ディノス・チャップマンらを中心とするヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)が、挑発的で大胆な表現を用いて世界的な話題となった。

これらの文化現象は、実は市場主義に対する皮肉や反骨精神に根ざしていた。つまり、サッチャー時代に推進された個人主義や競争原理によって生じた格差や社会的混乱に対し、若い世代が文化的創造性や反抗的なエネルギーで応えたものだった。しかし皮肉にも、こうした反抗的なムーブメントが国策としてブランド化され、英国の経済やイメージ向上の一端を担う結果となったのである。

Choose Life――自由とクリエイティビティの再評価

1996年に公開された映画『トレインスポッティング』は、90年代英国社会が抱えていた社会的矛盾や文化的混乱を鮮やかに描き出した象徴的な作品だった。この映画の中心に据えられたフレーズ「Choose Life(生き方を選べ)」は、一見ポジティブで励ましのメッセージのように聞こえるが、その裏には当時の新自由主義が推進した個人主義や消費社会への鋭い批判と皮肉が込められていた。映画の主人公たちは、社会が押し付ける安易な「成功」や消費主義的なライフスタイルを拒絶し、自らの生き方を模索しつつも、麻薬や犯罪といった自己破壊的な行動に巻き込まれていく。このフレーズは、サッチャー時代以降に生まれた経済的格差や社会的疎外感を抱えた若者たちの心情を代弁し、自由やクリエイティビティを求める渇望を反映していた。また、「Choose Life」は、社会的価値観が市場主義に支配された世界に対する警鐘であり、個人の真の自由とは何かを問い直す契機にもなった。

今、何を選ぶのか?

サッチャー政権の誕生から70年代のパンクムーブメント、90年代のクール・ブリタニアを経て『トレインスポッティング』の「Choose Life」へと至る流れは、英国社会が自由主義的市場経済と社会的連帯感、個人主義とコミュニティのバランスを模索し続けてきた歴史を示している。

サッチャーの新自由主義は個人の自由や経済成長を促進したが、同時に格差や社会の分断を生み出した。パンクはそのような社会環境への若者の怒りや反発を表現し、個人の自由や創造性を主張した。

一方、クール・ブリタニアの時代には、それらの対立が文化的創造力として結実し、英国の新しいアイデンティティ形成に寄与した。『トレインスポッティング』の「Choose Life」というフレーズは、この複雑な背景を踏まえ、単純な個人主義や消費主義への批判だけでなく、本質的な自由や真の自己表現の可能性を問い直すものだった。

こうした英国の経験と歴史を詳細に振り返ること、そして知ることは、日本が今後の文化政策を考える上で、政府主導型からクリエイター主導型への移行や、個人の自由と社会的包摂をいかに両立させるかといった重要な視点や具体的なヒントを提供してくれるだろう。